悦びが溢れるお産

悦びが溢れるお産

最近思うこと。

自分を信頼して産む という覚悟のお話です。

私が自然なお産に魅了されているのは、産んだ人の美しさ、溢れる悦びを一緒に感じられるから です。

悦びとは、神がかりして恍惚とすることだそうです。喜びが外発的な表現に対して悦びは内発的、悦びは何の前提もなく自分の中から湧き上がるよろこび。子どもの時の理由なく楽しい感覚だそうです。

産む ということを自分のからだで、自分のホルモンで、自分でやり遂げた、その体験はほんとうに気持ちよくて、心からしあわせが溢れてきます。多幸感というのか、心もからだも悦びで満たされて、溢れ出す感じです。

それは、その場にいる人全てを巻き込みます。

その場にいる人どころか、その場にいなくても巻き込まれます。溢れる悦びは波紋のように広がります。

だから、パートナーさんは立ち会ってもいいし、立ち会わなくてもいいと思います。例えば、パートナーが立ち会ったとしても、赤ちゃんが生まれる過程が苦しみとしか感じられなかったら、私はこんなに辛いという時間でしかなかったら、いくら立ち会ったとしても、悦びは共有できません。あなたが悦びに満たされた時、それは時空を超えてパートナーと共有できます。

産む という体験から悦びが溢れた時、あなたの中の女性性が解放されます。女性性の解放が男性性の拡大につながります。

私は最近そんな風に感じています。

それこそが 産む という体験の醍醐味であり、その悦びが、自分を生きる力になるのだと思います。

生きる日々には色々なことがあります。愛されていないように感じてしまうこと、ひとりぼっちだと思ってしまうこと、誰かに認めてもらいたいと思ってしまうこと、こんな自分でも大丈夫だと受け入れてくれる誰かを求めてしまうこと。それは甘えであり依存ですが、そうでないと自分であることが不安になってしまうこと。

私もそうでした。そんな自分を私自身が否定して、でもそんな自分でも愛してくれる誰かを求めて、今思うと、私のパートナーシップは「私を受け入れてほしい、認めてほしい」という依存でした。

恋は3年しかもたない説がありますが、そのカラクリはそういうことだと思うのです。「私のことを好き?」という依存は3年くらいできつくなってしまうんじゃないかな。自分で自分を愛せた時に、お互いを愛することができて、その愛は心地よく継続するのだと思うのです。愛は信頼です。自分を信頼することができたら、それを外に求めることはなくなります。

私たちはどうして生まれてきたのでしょう?私はどうして生まれてきたのでしょう?孤独に悲しむため?明日を不安に思うため?誰かを憎んだり羨むため?

そんな世界で生きたいですか?そんな自分でいたいですか?

お産 はそのことに気づく体験でもあるように思います。産む ことで 生まれる Reborn。

そんなお産のサポートをしています。

悦びが溢れる、人生が輝く、そんなお産を体験しましょう。あなたから溢れる悦びは世界を満たします。

あなたの女性性が解放されて、男性性が拡大する、そんなお産を体験しましょう。

自分で自分を愛するということは、広がる水平線のように、流れる水のように、髪がそよぐ風のように、澄んだ空のように、自由でのびのびと気持ちいい感覚を生きることができます。

私は、だから生まれてきたんだ。そう思うのです。